2012年人類大進化とアセンション [ アセンション ]2008-09-05 Fri 23:55
ザ・フナイ3号『スピリチュアルな生き方』(株式会社船井メディア発行)より、坂本政道さんが、『2012年人類大進化に向けて』というタイトルで、この現時点での最新情報を書いている。以下要約して述べたい。
今2012年情報に関して、一番伝えたい事として、次の四つを上げている。 1) これから2012年に向けて、地球生命系へ銀河系のコアから大量の生命エネルギーが流れ込んでくる。このエネルギーは、無条件の愛と呼ばれるものである。 2) このエネルギーは、人類の意識を大きく変え、進化を促進する。結果として人類の多数は、地球生命系から卒業し、次の段階へ進んで行く。 3) しかし、この過程で、地球上では、これまで人類が経験したことのないような大変化が起こる可能性が高い。それはすべての人類の意識に気ずきを与え、進化を加速するためのものなのだが、誤解が混乱を引き起こす可能性がある。 4) それを回避するためには、人類に対する啓発活動や意識の変化をもたらすための方法の開発や実用化、更に普及が急務である。 1) について 生命エネルギーは、気のような非物質のエネルギーであるが、物質のエネルギーのように周波数や振動数を持つ。たとえば無条件の愛とか知性とか内容や性質によって、周波数や振動数も様々である。 生命エネルギーは、宇宙の根源的なエネルギーで、万物に意識を与えているが、今銀河系コア経由で、地球にどんどん流れてきている。2012年のピークに向けて、今年あたりからはっきりした変化が現れるという。 2) について 振動数と進化の度合いには、相関関係があり、振動数が高いほど、進化が高いと言える。1オクターブ(1〜7)ごとに意識の進化の段階が異なるようである。1次元は植物界、二次元は動物界、3次元は人間界、4次元は死後世界というように。 人間は、意識の進化を前提として生まれた。このため、学びの場としての地球生命系で、1次元から輪廻転生してきている。 我々は、大よそプレアデスやオリオン座三つ星を起源として、シリウスやベガを経由で地球に来ているグループと別次元のから来たグループに分けられる。 意識の次の段階は、地球生命系で、すべての経験をして、3次元を卒業することである。感情に翻弄されずに、意識を解放して、清濁ともに味わうことができれば良い。そのためには、すべての体験を味わった後、5次元以上にあるトータルセルフ(オーバーソール)に行き、無条件の愛に満たされると輪廻転生のいわば悪循環から脱却できる。我々人間は、無条件の愛という生命エネルギーに頼るしかないのである。 坂本さんは、もともとヘミシンクの情報だけに忠実なスタンスを取っているので、アセンションという言葉は、使っていないが、まさにアセンションが起こるという前提で話されているように受け取れる。私は、藤崎ちえこさんのヘミシンク・ワークで、アセンションに関連した多くの体験をさせていただいたが、約一年以上経ってから、坂本さんのセミナーに参加し、直接話しを聞く事ができ、更に今回、体験した事の意味をほぼ再確認することができたように思う。坂本さんとは異なる場所と時間で、ヘミシンクの体験をしたにも係らず、ヴィジョンがかなり近似しているというのは、驚きと感動を禁じ得ない。今回この記事を読んで、現時点での坂本さんの解釈の信憑性を私なりに確信する作業になった。この辺は、この次に改めてコメントしたい。いずれせよ、けっしてパニックになる必要は無いが、運命の時まで、後2年かもしれない。
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過去世療法(前世療法)の問題点=総括=2008-08-30 Sat 23:55
引き続き続き、スピリチュアリズム・ニューズレター6号の記事を参考にして過去世について述べてみる。
イアン・スチーヴンソン博士やシルバー・バーチが指摘するワイス博士の前世療法の問題点については、以下のようにまとめられている。 1) 霊的現象に対する理解力の乏しさが、判断を誤らせたと思われる。 2) 退行催眠によって明らかにした前世の人格は、潜在意識のいたずらや憑依現象である。 3) 霊界の導きに対する無知さが見られる。 4) 前世を思い出すことによって病気が治ったというのは思い込みと錯覚である。カルマによる病気が治るのは、すべて治るべき時期がきているかどうかという霊的真理に基づく。 5) ソウルメイトは、事実ではない。催眠下という非日常的なところで作り出された想像の産物である。類魂説という霊的真理に反する。地上人のソウルメイトとしての関係は、せいぜい幽界までである。再生時まで、この関係は持ち越されることはない。しかも、類魂説に従えば、再生するのは、別の個性の自分である。ただし、ごく稀に悪いカルマの清算のために二人の前世の関係が持ち越されたり、アフィニティ(ツイン・ソウル)いわゆる同一類魂として夫婦の関係が成立することがある。 6) 前世を思い出すための具体的な方法は間違った方法である。自己暗示によって架空の前世が創作される。 7) 飯田 史彦氏の『生きがいの創造』は、ワイス博士と退行催眠に批判的なイアン・スチーヴンソン博士とを同一視している。 過去世療法がこれだけ流行っている現状を鑑みると、水を差すような手厳しい内容ではある。けれども、二つの事に注目しても良いだろう。一つは、精神世界では評価の高い高級霊界通信という霊界からの視点で述べられている内容であるという事。もちろん、ここで言う高級霊界通信とは、近代スピリチュアリズムを代表するシルバー・バーチやモーゼスの霊訓のような高級霊を介した啓示的な霊界通信である。もう一つは、地上界の視点から前世の研究を行っている著名な研究者の間でも退行催眠による過去世療法については意見が分かれるという事である。際限なく奥行きの広い未知の異次元を相手とする心構えとして、これらの事実を頭のどこかに入れておく方が患者だけでなく試術者としても安全であると思われる。 |
ヘミシンクと過去世2=前世療法に対するシルバー・バーチの見解=2008-08-20 Wed 23:48
引き続き、スピリチュアリズム・ニューズレター5号の記事を参考にして述べる。結論として、シルバー・バーチは、シルバー・バーチの霊訓(10)の中で、退行催眠で前世を知る事はできないとしている。
1) 催眠術の基本は暗示性にある。被術者は必ずしも術者の暗示通りに反応しているとは限らない。前世という暗示をかけても、被術者が、前世を語るとを限らない。 2) 人間の潜在意識には、莫大な可能性が秘められているので、創造力や潜在的願望によって前世の人物像が作り上げられる。 3) 霊による憑依の可能性がある。その場合は、憑依した霊の記憶が前世の記憶として残る。 4) 催眠中に幽体離脱が起こり、その間の記憶が印象に残って語られることがある。これは前世の記憶とは言えない。 (さらに、睡眠中の幽体離脱による可能性も指摘している。) 地上人が前世を思い出す可能性としては、一瞬のひらめきの中で垣間見るだけだとしている。物語のように展開された前世というのは、やはりかなり怪しいことになる。確かに私がヘミシンクで見た前世というのは、バイロケーションという広義の幽体離脱で見ている事なので、本当の前世を見ているのかどうかは疑いは拭えない。ただ、私の場合は、常に物語にならず、死の場面だけが強調されていた。映画で言えば、ワン・カットのような体験が多かったが、逆に信憑性があるかもしれないとも思う。 いずれにせよ、ガイドを介して、何らかの学びを得たとしても、あまり執着すべきではない事は、確なようだ。普段生きる上では、前世を忘れているからこそ自分を保てるのかもしれないし、あまり運命論的になっても引きずってしまい、今を生きにくくなる場合もあるであろう。結局、前世療法にしても、単なる興味本位の話題として受け取っていたほうが安全なように思えてくるのである。 前世を思い出す催眠術がブームになっいる事に対して、シルバー・バーチは、以下のように述べている。 『学べることが皆無というわけではありません。が、そうした体験には、たんに現在の自分が立派でないことから、潜在意識が立派でありたかった願望を描こうとする、一種の虚栄心の表れであることがあります。 別のケースとして、それにカルマがからんでいる場合があり、過古世において大きな影響を及ぼした苦難または悲劇を現世に呼び戻し、それを意識することでカルマが消滅することがあります。これは好い結果をもたらす例です。が、それがただの取りとめのない想像にすぎないことが多いのです。 もう一つのケースとして、催眠状態における憑依霊の仕業である場合もあります。』(シルバー・バーチの霊訓10)
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ヘミシンクと過去世=スピリチュアリズムによる検証=2008-08-15 Fri 18:21
スピリチュアリズム・ニューズレター5号の記事は過古世について改めて考えさせられる。
以前の日記でも若干述べたけれども、ヘミシンクで体験した過古世は、今の自分にとっての本当の過古世なのか疑念が残っている。一般に古いものになると歴史上に詳しい記録を残していない人物像が大半だと思われるので、過古世が同一人物であるということを科学的に証明する証拠探しは、困難を極めるであろう。 ところで、過去世と言えば、これを催眠療法に活用した精神科医ブライアン・L・ワイス博士が有名であるが、私も彼の著書『前世療法』(PHP文庫)を読んで、感銘を受けた1人である。彼は、患者さんの多くは、過古世を思い出すことによって、現世でのトラウマが癒されるとしている。前世療法が、いわば、悪いカルマの刈り取りの役割を果たしているとも言える。一方、多くの生まれ変わり事例を長年にわたって徹底的に調査した米国精神科教授イアン・スチーヴンソン博士は、前世療法に対しては、ワイス博士とは、反対の立場を取っている。彼の著書『前世を記憶する子供たち』(日本教文社)は、私も愛読した本の一つだが、本の中で、退行催眠による前世療法は、信頼性が乏しいという結論を述べている。その理由として、以下の点を挙げている。 1)潜在意識による記憶のいたずらが、前世の記憶だと錯覚させることがある。 2)テレパシーによって前世の人格を知る人から情報を取り入れることがある。 3)低級霊による憑依現象として前世の記憶が本人を通して語られることがある。 特に1)のように、催眠によるものは、術者の強い暗示によって作り出された創作による過古世が、ほとんどだという。また、3)は、たとえば、精神科医ウイックランドの精神病に対する除霊治療の中によく出て来る例だ。 さて、シルバー・バーチは、再生が事実であることを述べているが、ただし、いわゆる類魂説を前提とする。これに従うと、前世の人格が、そのまま現世で置き換わるわけではないとしたイアン・スチーヴンソン博士の見解が、正しいと思われる。結局、今の自分というパーソナリティは、今生しか無いということになる。逆に、過去世の自分は、現世の自分とは異なる類魂としての自分だということになり、あくまでも自分の潜在意識(インディビジュアリティー)の一部が肉体を持って地上界に表出した分身であるとも言える。今ある自分という意識も本来の潜在意識の一部にしかすぎないのである。 更に、ヘミシンクが誘導する過去世も同様ではないかと考えられる。けっして催眠のような強い暗示は無いけれども潜在意識のいたずらや低級霊による憑依の可能性も否定はできないであろう。その点は、しばしばヘミシンク用CDに入っているガイダンスが、強制的かつ作為的なものは、誘導してしまうので、避けた方が良いのかもしれない。ここで、特に重要な事は、スピリチュアリズムの霊的真理に従えば、時間は、連続的であり、しかも類魂説を前提とするので、坂本氏の指摘するような過古世の自分が、未来世になることはありえないということになる。夢での体験のように意識の中では起こりうる事ではあるが、仮に、未来の輪廻転成で過去に行ったとしても、それは、類魂であって、今の自分では無いということも頭に入れておくべきだと思う。 ただし、霊魂は、永遠不滅であることを忘れてはならない。地上界におけるパーソナリティとしての未来の自分というのは、通常は、死後世界である幽界に行き、そこでしばし暮らすことになる。一見すると今生の生は、一回きりとなるので、まだまだ圧倒的に多いと思われる唯物的な意識の人々と同じような虚無的な認識に陥ってしまう輩もおられるかもしれにない。しかし、魂の永遠性をしっかりと認識している者にとっては、今を真摯に生きる人生の大切さが返ってわかるというものだ。たとえ最愛の人に先立たれても死後また会えるという確信を持って、愛する人の分まで、力強く生き抜こうではないか!!
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体外離脱体験=五感を超えた世界の意味=2008-08-09 Sat 22:29
今年の2月2日起きた体外離脱について述べてみたい。もちろん、広義の体外離脱(バイ・ロケーション)ではなく、坂本政道氏の定義する狭義の体外離脱である。また、ヘミシンクは不断良く聞くけれども、聞きながらの体験ではない。
明け方の5時くらいだろうか。自宅で飼っている小犬が早起きなので、つられて少し目が醒めかけた。うとうとと変性意識状態になって、例のバイブレーションが起きた。既に、恐さは克服しているので、また、体験のチャンスだと思い、バイブレーションに身を任せながら、上体を起こすように意識してみた。いつものように抜け出かけたが、少し意識し過ぎてしまい、肉体にもどってしまった。普通ならば、これで終りなのだが、今回は、すぐにまたバイブレーションが起きた。今度は、横に転がるいつものやり方をしたら、すぐに抜け出た。 室内は、まだ薄暗く始めは荒い映像だったが、ベットの脇で、寝ている自分を確認することができた。私は、腰が痛くなるので、ベットでは、あまり寝ていない。いつもは、ベットの脇の板の間に、ふとんを二枚引いて寝ているのだ。まるでベットから落ちているような格好だし、冬は、いささか寒いが、慣れてしまった。そんなベットの下の自分をまさに横目に見ながら、ドアの外へ抜け出た。今回は、廊下を右に回って、南側のベランダへそのまま出てみた。どうも正面の壁を突き抜けたようだが、よく覚えていない。そこで見た世界は、時間の割りには、明るくて、いつもの風景とは、若干違って見えた。左隣の家は、少し前方にあったし、正面は、緑が多い季節の感じがした。隣の家を側面から見るように、ベランダを左に回り、玄関に出た。外側から中へ入る格好だが、もちろん鍵がかかっている。しかし、ドアのノブに手をかけると、腕ごとそのまま抜けてしまうのだ。また、中に入ってから、外へ手をノブにかけて腕を伸ばすと、また、抜けてしまう。ただ、ドアの質感が感じられて、興味深く、探求的になってしまう。手を入れたり、出したりしていたら、目が覚めてしまった。すぐ肉体に戻ったようだった。 今回気が付いたことを述べれば、体外離脱した世界というのは、視覚で捉えた世界ではないので、像が粗いのも慣れていないからだろうし、現実世界と若干違いが生じるのかもしれない。更に、夢のような想像が入り込む可能性もあるだろう。 意識は、はっきりしているので、私としては夢の感じでは無いのだが、五感を越えた世界は、物理法則に支配されている物質世界とは、細部で異なっている事があるのは当然かもしれない。また、五感を超越した感覚で、捉えた現実世界は、事実こうなのかもしれない。スピリチュアリズムでは、波動の高い霊界こそ実相の世界で、地上世界は、影絵のような仮相の世界だというが、この辺はまだはっきりと確信が持てない。また、波動が異なる世界だということは、通常の人間の眼では、体脱した第二の私を捉えることはできないだろう。いずれにせよ、何度体験しても不思議な体験ではある。なお、これは戒めであるが、こういった霊能の開発だけにとどまってはならない。同時に、霊性を磨くことこそ大切である。潜在意識を刺激する事は、多くの低級霊の入り込む余地を与える危険性を伴う。ヘミシンク時も同様であるという指摘もある。 『人間の進歩には二つの形式がある。一つは霊能の開発、他は霊性の浄化。もし霊性の錬磨をさしおいて霊能だけの開発をはかるなら、その人はいつまでも低い霊的境涯にとどまらねばならない。反対に、両者ともども発達をはかるなら、大霊能力者となるだけでなく、人間としても立派な人物となる。』(シルバー・バーチの霊訓1より)
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